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大規模犯罪の拡散

 投稿者:拡散  投稿日:2016年 6月12日(日)23時49分7秒
返信・引用
  ミクルって掲示板の『創価の実態』ってトピを見てる人へ

拡散中→『希代のワル、豚ダニの池田大作が作った公明党(創価)が、波動を悪用して、一般人や学会員を病気にしたり、事故に合わせたりする、危険な組織だって事が世間に知られてないので、拡散させてます

より多くの人に、この事実を知ってもらう事で、この犯罪は減って行きますから、メクラ滅法にバラまいて、世間に浸透させてます

この犯罪は、総体革命といって、政界や財界や医療界やらの各分野に、創価信者を送り込んで、日本を乗っ取る革命で、それらに所属してる創価信者が、連携しながら指導してや ってる、国家犯罪です

公明党が与党になってから、精神科、心療内科が急増、障害者手帳を持つ人が急増、向精神薬の売り上げ急増、教師の長期休暇急増、精神障害になって労災請求する人が急増してます。何十年にも渡って、人知れず多くの人に災いを与えて来た政党が、公明党です。逆に言うと、公明党が野党に転落、もしくは政界から退けば、この卑劣な犯罪は激減するって事です

この犯罪は、人工衛星のGPSや遠隔計測法を用いて、人工知能が波動を使ってやるので、日本全国、世界各国どこに居てもピンポイントで痛みや病気を作れますし、どこに居ても監視盗聴が出来ます。遠隔からプラスチックを割ったり、袋に穴を開けたり、物を凍らせたりも出来ますから、当然地震すらも作り出せます。ちなみに熊本の地震は、このクソ共のしわざです

人工知能が、世の中のほぼ全ての人を、24時間体制で監視盗聴して、その家庭の家族構成、生活スタイル、家庭環境等の情報を取り込んで管理し、創価の用途に応じて、それに適した人間を瞬時に選び出して、功徳や仏罰や嫌がらせに利用します

身近な例を出すなら、人工知能(AI)を搭載した、完全自動運転車をGoogleが開発してます。青信号では進む、赤信号では止まるって事はもちろん、事故らないように、車間距離をとったり、速度調節したり、360度全てに目が行き届いてて、それらを、人工知能が全て判断してやります

人工知能の技術も進歩してて、人工知能自身があらゆる情報から学んで、経験から学習して、その問題に、最も適した手を選びます

創価公明は、この技術を大規模化したもので、集団ストーカーやらノイズキャンペーンをしたり、病気を作ったり、痛みを与えたり、事故らせたり、殺人に駆り立てたりします。この世の災いの殆どは、このクソ共が作り出してます

あまりにも大規模かつ、高度のテクノロジー技術を使ってやるので、真相を教えても、SFやファンタジーの世界、非現実な絵空事、妄想が作り出した錯覚、キチガイの戯れ言にしか感じられない人が多いのが現状です

創価公明の嫌がらせの手法のひとつに、ノイズキャンペーン(騒音の嫌がらせ)てのがあるんですけど、救急車のサイレンで嫌がらせする為だけに、わざわざ重篤な患者を作り出しますし、パトカーが付きまといをする集団ストーカー(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)は、警察に通報させないように、警官を操って、いかにも警察が嫌がらせしてるように、工作します。警官は、自分が操られてる事に気付いてません。これらは全国でやってますから、警察関係者は知らぬ間に、多くの人に恨みをかってるって事です。警察の内部事情は全て筒抜けで、パトロールに行く時間も全て、人工知能が把握してますから、それに便乗して、人工知能が波動で警官を操って、定規で測ったかのような、神懸かった抜群のタイミングで集ストします

行く所行く所で周りの人が咳払いしたり、くしゃみをしたりする集団ストーカーは、被害者の周りの人に波動を当てて、咳払いやくしゃみをさせてるだけです。いかにも集団でストーカーしてると思わせて、心理的負担をかけてるだけです

くしゃみをした時の周波数と、同じ周波の波動当てると、人為的にくしゃみを出させる事が出来ます。アメリカがこれで特許取ってるんですけど、例えば、TBSラジオは90.5MHz(メガヘルツ)、ニッポン放送93.0MHzに周波数を合わせると、これらのラジオを聴けます。これと同じように、食欲が湧かない時の周波数、眠れない時の周波数、パニック障害に陥ってる時の周波数って具合に、それぞれの周波数と同じ周波を当てると、ラジオが切り替わるように、その状態に切り替わって、意識操作や精神疾患を作り出せます

生態の周波数コードを読み取って、脳波パルス信号に、同じ周波数を送ると、波動が共鳴して、その状態に切り替わります。例えば、人が右に曲がる時の周波数コードを読み取って、その周波数と同じ周波数を送ると、いとも簡単に右に行かせる事が出来ます。これを利用すれば、警官を操って、パトカーに集ストさせる事も、たわいないです。好き嫌いの感情、食欲等を操る事なんか、造作もないです

例えば、蛍光灯に虫が集まるのは、ある決まった周波数の紫外線に、吸い寄せられてるからです。逆にいうと虫ですら、周波数で操作が可能って事です。虫は、波長340~350nmの紫外線に引き寄せられやすいです。昆虫類は、それぞれが違った周波数の光に誘引される性質があるんで、どんな虫でも周波数を変えると、自在に操作が可能って事です

創価が仏敵によくヤる、家の中に害虫を呼び込んだり、カラスを屋根の上に集めて暴れさせたり鳴かせたり、犬を吠えさせる嫌がらせも、全て人工知能が、波動(周波数)を用いてヤってます

ちなみに、27~38Hzで不眠に、48~55Hzで喘息に、50Hzで生理痛、52Hzでてんかん、60Hzで痙攣、88Hzで片頭痛が引き起こされます。それぞれの病気が、それぞれ決まった周波数を持ってます。これらの周波数と同じ周波を当てれば、どんな病気でも作り出せるって事です

この、遠隔から痛みや病気を生み出す技術力を使って、主に公明の支持母体、公明の栄養源である、創価の活動家が病気にされます。病気になると信者は仏にすがって、学会活動や選挙活動に精を出すようになります。その為、活動家は定期的に病気にされます。モチベーションを上げさせる為の、起爆剤みたいなもんです

信者は、科学技術で病気にされてる事に、気付いてません。皆、魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)にヤられてると思ってます。病気だけじゃなく、事故に合わせたり、怒りの感情を高めさせて、家庭不和にしたりして、不幸を作りあげます。毎日が平和だと、仏にすがる必要がないので、皆ヤメちゃいますから、定期的に不幸を与える必要があるわけです

3桁、4桁、数百万円~数千万円、多額の財務(お布施)をする人程、重い病気になり、頻繁に事故に遭遇します。聖教新聞を何部も取り、折伏(勧誘)にも勤しむ熱心な信者ほど、多くの災いを呼び込みます。これが正直者がバカを見る宗教、創価の実態です

多くの人を病気にして来てるのに、この犯罪が、世間に全く漏れ出してない理由は、私生活を監視盗聴して、生活に沿った病気や痛みを与えて来たからです。重い物を持ったら腕に痛みを与えたり、ツラい事があったら鬱にしたり等。つまり私生活に便乗して、不自然にならず、違和感を持たせず、痛みを与えたり病気にして来たから、今までバレずにきたわけです

創価は、創価に入って題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、どんな病気も治るって事を売りにしてます。医者が見放した不治の病も、題目を唱えれば治るっていう触れ込みで、信者を募ってます。確かに治るんですけど、それは波動を使って病気にしてるから、治せるわけです。科学技術で病気を作り出し、題目あげたら波動を弱め、題目で治ったように見せかけます

ウツ病が治らず入信する人、不眠症が治らず入信する人、腰痛が治らず入信する人等、苦しみから逃れるべく、最後の望みの綱で、創価に入信する人は枚挙にいとまがないです

これらは、入信させる為に作り出した病気です。創価公明は、学会員だけじゃなく、一般人をも長年に渡って病気にします。創価公明の特徴として、本人が嫌がる事を、何十年にも渡って徹底してやります

じゃあ創価に入信すれば、病気が治るかっていうと、入信しても完治はさせません。生かさず殺さず、良くしたり、時には酷くしたりして、蛇の生殺し状態にします。完治させたら、皆活動をヤめてしまいますから、定期的に病を浮かせたり沈めたりして、学会活動や選挙活動に、精を出させるわけです

創価の本尊を焼いた人は、家が火事になったり、灯油を自分にかけて焼身自殺したりします。あれも遠隔操作でやってます。波動で直接火事にすると証拠が残るので、火に鍋をかけてるのを忘れさせたりして、違和感を持たせずに火事にします

昔、ビートたけし氏が、顔の原形を留めないくらいの、バイク事故を起こした事がありましたけど、あれも創価の仕業です。たけし氏は事故に合う前に、創価の本尊にへのへのもへじを書いてます

創価は恐怖政治、恐怖支配の一枚岩で成り立ってるので、恐怖心を植え付ける為に、こういう事をします

この犯罪を取り締まる法整備が成されてませんから、法整備をせざる得ない状態にする効果、拡散する事での犯罪の抑止効果、何も知らずに創価に入信する情報弱者を減らす効果等を狙って、バラマキしてます』

 
 

2016/03/06

 投稿者:ジャッキー  投稿日:2016年 3月 7日(月)06時20分50秒
返信・引用
  弥勒菩薩を待つように駆け抜けたい。  

2016/02/23

 投稿者:OZ  投稿日:2016年 2月24日(水)17時40分51秒
返信・引用
  生きているだけでいい。そのことがどれだけ、多くの人を安心させることだろう。みんな実は、そのことだけを言われたくてたまらないのだ。  

さんせんし

 投稿者:ジャッキー  投稿日:2016年 2月23日(火)08時39分2秒
返信・引用
  16歳の時に書いた芝居『少年三遷史』。懐古厨と思われようが自画自賛と言われようが、
僕はこの芝居が好きである。
15年前に書いたこのセリフに、未だに心を縛られている。
円ちゃんありがとう。
そして円ちゃんを演じてくれたてっしー、円ちゃんに命を吹き込んでくれて本当にありがとう。いや、あの脚本も円ちゃんも、みんなで作ったものだから、感謝を言うのも本当はおかしいんだけど。(部室のコタツで台本検討した日のあの感じを僕は忘れない!)
このセリフは常にきみの声で再生されます。本当に素晴らしい演技だった。





円    ねぇ、ばかてっちゃん!!(胸ぐら掴め)
      ちょっと言わせてもらうわよ。
      今のあんたを動かしてるのはだれ?
      あんたでしょ?
      明日のあんたを動かすのはだれ?
      あんた以外のだれかってことがある?
      なんでもかんでも成り行き任せに進んでくもんじゃない。
      あんたがそんなんだから鈴ちゃんみたいになっちゃうのよ!?
      ・・・自分でどうにかしようと思わないの?
      明日の自分、明後日の自分、みんな自分でしょ?
      朝起きたらいきなり大人になってるってわけじゃない。
      20年後って一口にいっても、時間は一日ずつ過ぎていくの。わかる?
 

(無題)

 投稿者:ジャッキー  投稿日:2016年 2月21日(日)16時56分3秒
返信・引用
  ≪男が家庭に入るということは、それはすなわち、仕事に入っていくということなのである。≫(2015/10/16)

こういうドキッとする一行がたまにあるからやっぱり自分の日記はおもしろいなあ。
 

遅ればせながら

 投稿者:ぺ~こ  投稿日:2012年 9月25日(火)01時32分3秒
返信・引用
  2012/08/31 金 甲子 教育者としての亀仙人

 僕は亀仙人になりたいんですよ。
 亀仙人ってのは『ドラゴンボール』の悟空の師匠。僕は『ドラゴンボール』は教育漫画だと思っていて、特に亀仙人っていうのはその観点からこの作品を語るには欠かせない存在です。
 亀仙人は、12歳当時ほとんど野生児だった悟空を「教育」します。ごく初期(単行本でいうと3巻)、週刊連載で十話にも満たない短期間でしたが、非常に充実した内容で、確実に悟空(とクリリン)のその後の人生の基礎を作っています。
 亀仙人は悟空たちに「修行」をつけてやるわけですが、実戦の練習はなし。重い甲羅を背負って牛乳配達をしたり、畑を耕したり、土木工事をしたり。あるいは国語や算数などの「お勉強」もします。……これって、ある種「理想の教育」ってやつじゃないの! とか思います。
 初登場時、悟空は「じっちゃん(孫悟飯)の言いつけを守る」だけの、単純な子供でした。自分の年齢を2歳勘違いして数えているほど、学がなかった。それが初めて人間らしい生活をし、人間らしい教育を受けたのが、この亀仙人のもとでの修行だったのです。
『ドラゴンボール』は、「ただ格闘しているだけ」の漫画だと捉えられがちですが、ごく初期に悟空は、しっかりとした「教育」を受けているのです。「悟空はニート」みたいなことが冗談で言われますけれども、実はこの時期にすでに「教育」も「労働」もしているのです(まあ、かなり長い期間ニート同然であったことは確かだと思いますが……)。さらに、悟空はちゃんと子供たち(悟飯、悟天&トランクス)を教育しているし、何より最終回にはウーブという少年に対する教育者になることを宣言して物語に幕を下ろすのです。『ドラゴンボール』は実は教育漫画なのです!

 亀仙人の話に戻ります。彼が偉いのは、悟空とクリリンが天下一武道会(格闘の大会)に出場する段になって、いきなり優勝とかすると調子に乗るからといって、自らも変装して出場し、見事に悟空を打ち負かすことです。その次の大会でも同様に出場しますが、天津飯という強敵を前にして「新たな若者の時代」を予感し、「わしの弟子にはこの大会に優勝したくらいでダメになってしまうようなおろか者はおらぬ」と悟って自ら舞台を降ります。すばらしいのは、この大会のために亀仙人はちゃんと特訓してきているということ。師匠という「無条件に偉い立場」でありながら、自らの鍛錬をも怠らない。その姿勢が亀仙人の偉いところです。「今回はぎりぎりのところで勝てた。次回はきっと負けるからもう出場しない」ではなく、「負けないようにこっそり修行する」というのが、じつにいいですね。世界中の「師匠」とか「先生」とか呼ばれる人たちが、見習うべきところです。
 亀仙人にとって悟空はまさに「出藍の誉れ」ですが、鍛錬を怠らないからこそ、この言葉も強い説得力を持ちます。彼がもしカメハウスでエッチな本を読んでるだけのエロじじいで、「いやー、悟空はまさに出藍の誉れじゃわい」とか言ってるだけだったら、どうでしょう。過去の業績にあぐらをかいているだけのダメなじーさんです。しかし彼は違いました。「新しい時代」が来る、そのぎりぎりのところまで、弟子に負けないように努力を続けたのです。しかもその後、実力では圧倒的に悟空や天津飯には敵わないという段になってさえ、ピッコロ大魔王という強敵に果敢にも立ち向かい、死んでいきました(このあと生き返って後はほぼ隠居)。これほどカッコイイ「師匠」は、どの漫画を探してもそうはいません。だからこそ『ドラゴンボール』は名作なわけで、決してその魅力は「戦闘力の果てしないインフレ」や「必殺技の多様さ」などにあるわけではないのです!(一部の××××どもがそういうところばっかり拡大して語るからダメなんです!)

 ところで、悟空が亀仙人による修行で得たものは、「教育」や「労働」という言葉によって語れるものばかりではありません、たとえば「かけがえのない仲間」です。つまり、クリリンという同窓生です。
 悟空が本気で怒ったのって、全42巻通して二回しかないと思うんですが、両方ともクリリンが死んだ時です。ドラゴンボールGTの最終回でも、クリリンとの別れのシーンはひときわ感動的に演出されていました。
 クリリンだけが悟空の仲間ではありません。最終的に好敵手となるのはなんといってもベジータで、彼との間に芽生える絆も非常にすばらしいものではあるのですが、しかし同門で同じ釜の飯を食った「少年時代からの親友」クリリンとの絆は、明らかにそれ以上のものです。
「教育」の副産物として、「かけがえのない仲間」というものがあるという、当たり前で本当にすばらしいことを、ちゃんと描いているのです。

 さて、僕は一応、先生だったこともある人間で、自称「教育家」でもあります。そうである以上、僕は亀仙人のように生きていきたいと思うわけです。先日お会いした僕の高校の恩師も、亀仙人のような人です。「センター試験で満点取れなかったら教職を辞する」と豪語しており、実際に毎年満点を取っていたようです。まさに「亀仙人」だと思います。そして、僕のような出来の悪い教え子に向かって「出藍の誉れ」などという言葉を使うところも、「新たな若者の時代」と言った亀仙人に重なるところがあります。もちろん、彼はまだ舞台を降りる気などないようですが……。
 

還暦祝いでJ家全員が集まれることが我が事のように嬉しかったので

 投稿者:ぺ~こ  投稿日:2012年 3月11日(日)23時04分17秒
返信・引用
  2012/03/09 金 己巳 きょうだい

 おいで坊や ママの膝に乗りなさいよ
 ここは今 ぼくの指定席
 だけど聞いて もうすぐに きょうだいが生まれるよ
 ママは赤ちゃんをこの膝に乗せるわ
 わりきれないかもしれないけれど
 我慢して 小さな 泣くことしかできない
 きょうだいのために

 おいで坊や 顔を胸にうずめなさい
 大好きな ぼくのふところで
 だけど聞いて ふるさとはきょうだいと一つなの
 ママは赤ちゃんをこの胸に抱くのよ
 やるせないかもしれないけれど
 譲るのよ 羽根のない天使のような
 きょうだいのために

  聞いて 坊や
  やがて大人になるのよ
  パパもママも いなくなる日が来るでしょう
  そのとき きょうだいのこころに火を
  ともして歩いて
  お兄ちゃんだもの

 おいで坊や ほほとほほをくっつけよう
 熱いのは ぼくの涙でしょう
 だけど聞いて 楽しさを きょうだいは連れてくる
 ママは赤ちゃんにほおずりをするでしょう
 つまらないかもしれないけれど
 キスをしてあげて 血をわけたいのちの
 きょうだいのために

 ママは赤ちゃんをこの膝に乗せるわ
 わりきれないかもしれないけれど
 我慢して 小さな 泣くことしかできない
 きょうだいのために

 (益田宏美『今はふたり』(アルバム『きょうだい』より))


 お父さんもお母さんもそのうち死ぬんだと思ったとき、兄弟のことを考えた。僕には兄が三人いる。
 身内の個人的なことはあまり書きたくないし、書くべきでもない。四人がどんな兄弟で、それぞれどんな関係であるかというのは割愛するけど、とにかく普段は顔を合わせることがまずない。去年のおじいちゃんのお葬式では久しぶりに全員が揃ったけど、「十年ぶり」どころでは済まない。しかもそれも、ほんの一瞬だけだった。
 次に集まるのは、再び誰かに不幸があったときかなと思っていた。もしかしたら、それはお父さんかお母さんなのかもしれない。そんなことを考えると、それだけで僕の視界は涙でにじむ。これから先、僕はたぶん何度も泣くけれど、幼い頃から涙腺がゆるいので、どうか勘弁してください。
 あんまり書くべきじゃないし、書きたいわけでもないんだけど、書いたほうがいいようにも思うから、少しだけ書く。
 何ヶ月か前に、新宿で兄の一人と会った。「お父さんがこんど還暦だから、みんなで集まらないか」と兄は言った。僕は還暦のことも意識していなかったし、集まろうという発想もなかった。だから僕はやっぱり、この人のことは一生尊敬し続けるのだろうと思う(幼いころ、そのように洗脳されたのです)。
「そういう感じで、進めといてよ」と兄は言った。確かに、兄弟たちに呼びかけるなら、末っ子である僕が適任というか、それができるのはもしかしたら僕しかいない。僕が兄たちを愛しているよりも以上に、兄たちが僕に向けてくれている愛は大きくて、たぶん僕には到底実感できないくらいであるはずだと、今となってはわかる。
 それは僕が、「きょうだい」というものがどういうものであるかを、今さらながらわかりかけてきているからだと思う。

 冒頭に挙げた曲は、益田宏美(岩崎宏美)さんが二人目のお子さんを産んだころに発表した『きょうだい』というアルバムから。このアルバムのはじめには『愛を+(プラス)ワン』が、おしまいには『この愛を未来へ』が収録されている。それぞれサンライズのオリジナルアニメ『ママは小学4年生』のオープニング、エンディング曲。オープニングの絵コンテは富野由悠季氏が手がけており、個人的には彼のベストワークだと思う。お時間のある方はぜひ、どっかで探して御覧ください。
 僕ら兄弟の生まれ育った東海地方では、92年に『ママは小学4年生』の本放送が、93年に再放送が放映された。どちらも、僕らは見ていたはずだ。
 内容もさることながら、お母さんが岩崎宏美を好きだったので、一家みんなで見ていたと思う。たぶん、そのはずだ。本放送が92年1月~92年12月、再放送が93年9月~93年12月。この間の、92年の10月から93年2月のあいだには『宇宙船サジタリウス』の再放送がやっていて、これも確実に見ていた。
 92年1月に、僕が小学1年生で、長兄が中学1年生。『ママ4』と『サジタリウス』は、たぶん四人揃って見ていたんじゃないかな。『ママ4』再放送の次に始まったのが『銀河漂流バイファム』の再放送で、これもみんなで見ていたと思う。平日の夕食どきは、基本的にはこの「まんがのくに」というテレビ愛知の再放送枠をつけていたのだ。
 これら三作品は特に思い出深くって、今でもみんなで(それが「四人」だったかというのは記憶に薄いけれど……)見て、盛り上がっていたのを覚えている。「まんがのくに」で再放送されるアニメは子ども心をくすぐる名作ばかりだったのだ。まだアニメが「子どものもの」だった頃の……。リストを見ると、91年末から96年までの再放送アニメはほぼすべて覚えている。でもやっぱり、兄弟で見ていたのは、94年1月末に終わった『バイファム』か、せいぜいその次の『超伝動ロボ 鉄人28号FX』までだと思う。4月から三番目の兄が中学に上がったからだ。次兄は93年、『サジタリウス』の再放送が終わった直後に中学に上がっている。とすると、やっぱり四人で見ていたとすれば本放送の『ママ4』と再放送の『サジタリウス』までなのかな、と思う。長兄は僕と同じく中学に上がって以降もアニメが好きだったので、たぶん全部見ているはずだ。

 長々とアニメの話を書いてしまったが、『ママは小学4年生』の本放送・再放送の時期あたりを境に、僕たち兄弟はたぶん「みんなで同じことをする」ということがなくなっていってしまったんだろうな、と思う。それ以前にすでにそういう兆候はもちろんあったんだけど、今思い出すのは、「そういえばママ4はみんなで見ていたよな」ということばかりで、だからなんだか僕はそのことに、いろんなことを象徴させてしまいそうなのだ。思い返すと、ママ4の再放送が始まった時、兄のうちの誰かが「ママ4なら見なきゃ」というような意味のことを言っていたような気がする。あくまで「気がする」なんだけど。もしそうだとするなら、その頃には「アニメならとりあえずなんでも見る」という感じではなくなっていたということだろう。当たり前だ、もう小学校高学年なんだから。
 僕が今もなお、執拗に『ママ4』と『サジタリウス』にこだわり続けているのは、たぶんこうした個人的な想い出のせいもあるんだろう。それは「みんなで見ていたから」という真に個人的な理由だけでなく、「みんなで見ることを可能にさせた“名作”ゆえの力」が、あると思うから。つまり、「ママ4なら見なきゃ」と言わせるくらいの力が、あの作品にはあったと、僕は信じるから。そういう作品って、本当に素晴らしいと思う。心から思うね。
 それがもう、だいたい20年近く前の話。
 それから色々なことがあった。兄弟のことで苦しんだこともあった(十代の僕の苦悩のほとんどはこれだ)し、僕自身も「マジ親に迷惑かけた本当に」的なこともたくさんしてしまった。兄にも、気づかないところで負担をかけていたかもしれない。しかしとにかく僕が思うのは、「自分はこの家に生まれてよかった」ということと、「何があってもこの五人の家族だけは愛し続ける」ということだ。苦しんだことも、憎んだこともあったけど、それは「若さ」でもあるし、兄が、もしくは僕がどんなことをしようとも、両親が変わらず僕らを愛していて、今ではみんながみんなを愛することができるようならば、過去のことなんてすべてどうでもいいのだ。と書いてこれはさすがに泣く。
 お父さんもお母さんも僕たちみんなのことが大好きで、僕は今では誰のことも憎んでいなくて、みんなもきっとみんなを許して、愛しているのだと思うので、多少ぎこちないことがあったとしたって、かけがえのない一つの家族として、あの「家」が未だに存在できるのなら、それはただ単に幸福と言う以外の何物でもないのだ。
 今日、兄弟みんなとお母さんに電話をかけて、ようやくみんなが集まる日を決めた。決めたといっても、お父さんの誕生日を確かめて、「その日でいい?」と聞いて、「いいよ」と言われただけのことだ。「うーん、まだわからないなあ……あとで連絡するよ」なんて言った人は誰もいない。みんな、「お父さんの還暦を」と言えば、迷わず即座に「いつでもいいよ」と言ったのだ。平日だってのに。それだけで僕はもう、すべてわかった気がした。長兄は優しい声だったし、三番目の兄はほとんど猫なで声だ。僕は思い出す。三人の兄に、猫のように可愛がられ、いじめられていた日々を。本当に幸せだったと今は思うし、「弟」というものは、あれほど愛されるものなのだということを、今さらながら噛みしめている。そうだ、きょうだいっていうのはそういうものなんだと、ようやくわかった。
 今日まで電話をかけられなかったのは、本当にいろんな気持ちがあったからだ。三月に入ってから、「今日は電話しなきゃ」と毎日思って、できなかった。怖かったんだ。本当に怖かった。何が怖かったのか今となってはよくわからないけど、逆算して考えたらもしかして、「うーん、まだわからないなあ……あとで連絡するよ」が怖かったのかもしれない。実際は、そんなようなことではなかった。お母さんの声も明るかった。お父さんに直接電話していたら、いったいどんな声を出していただろう。おどけただろうね。きっとね。
 還暦なんつう、口実がなければ僕たちは集まらないし、集まれないし、集まったところで、どうなることかわからない。でも僕たちは兄弟で、時に恐ろしい呪いになるほどの固い鎖で繋がれた存在だ。そして何より、みんなもう大人になっている。そこには絶対に愛しかないはずだ。そうでなければ困る。僕は常々、愛というものは状況であって、一つの局面であり、場面であり、「シーン」であるのだと、言い続けているけれども、ようやくそのことが証明されそうな気がする。親のもとに兄弟が集まれば、その状況は愛でしかない。それをもし愛だと言ってしまえば、愛っていうもんは、本当に稀少なもので、だからこそ尊いのだよなと、思える。
 もし、親のもとに兄弟が集まって、それが愛でなければ、呪いだ。
 僕が怖かったのは、この「呪い」だ。
 呪いであるか愛であるのか、その答え合わせに、びくびくしていたのだ。ばからしい。信じればいいのに。今となっては笑えるほどだ。思い出せばいいのに。思い出したら、もう何を思いだしたところで、涙しか出ない。
 小さい頃の想い出の中には、当たり前だけど、必ず兄弟がいて、良いも悪いも、無限の、膨大な質量になる。あふれ出してきて、本当に困る。辛いことだっていくらでもあったけれども、今にして思えば巨大な愛の表面に誤ってついた小さなキズのようなものにしか思えない。……もちろん、そう思えるようになるには、家族から離れて東京に出て、十年近くの歳月が必要だったわけだけど。十年前ならそんなこと、かけらほども思えなかっただろう。

「生まれた家族」を愛せない人間に、「生む家族」を愛することができるのか、ということをたびたび考えていた。あえて言えば僕は、できないと思う。悲しいことだけど。それは「どんな家族でも愛すべきだ」という意味ではなくて、「愛せないような家族を持ってしまったことより不幸なことは絶対にない」というような意味だ。僕は幸いに、愛することができた。ようやく。
 このことに対して何か文句を言われたら、僕は怒る。僕には僕なりの事情があるのだから。他人の事情とは、別のことなのだから。

 この勢いで愛する人たち全員のことを書いてしまいそうだが、やめておこう。Amikaさんは『住宅』で、「この血より濃いものを探しに行く」と歌ったが、僕もようやっと、それがちゃんとできるようになったんだな。これからもどうぞよろしく。
 

某掲示板に書き込めなかった文章

 投稿者:ジャッキー  投稿日:2011年11月11日(金)22時17分20秒
返信・引用
  焼け死ねはトラウマ。確か兵士がふたりとも言うんだよね。ぬるっとした恐怖をいつも感じます。

このふたりのキチガイオヤジは僕も毎度注目しておりました。ガウイベントは、もちろん初回プレイではやり逃していたのですが、何度目かのプレイで初めて目の当たりにしたとき、「うわあ・・・これは見なくても良かったかも」と思ったものです。
前回の記事にもあったし、③に書くかもしれないところだけど、ストラゴスが狂信者になっちゃうところとか、カイエンが嘘文通に逃げてるところとか、セリスの自殺とか、セッツァーの酒浸りとか、シャドウが結局死んじゃうとか、真っ当にちゃんとクズorダメなところにリアリティを感じます。

とりわけ、ジジイつながりで言うとストラゴスは軽いトラウマ。狂信者の塔自体が(難易度含めて)トラウマ。結局モルルのお守りとリレイズなしでクリアした記憶がないです。

このゲームに関して語ってるとキリがないです。だいたいのネタやイベントをほぼ覚えているところとか、我ながら恐ろしいものです。
 

Re: (無題)

 投稿者:ジャッキー  投稿日:2011年 9月14日(水)03時49分2秒
返信・引用
  > No.23[元記事へ]

黒宮さんへのお返事です。

> 死んだ彼に関する日記は、シンプルだけどぐっとくるね。

き、きづかなかった!(書きこみに

ありがとう!!!11
 

(無題)

 投稿者:黒宮  投稿日:2011年 9月13日(火)18時32分59秒
返信・引用
  死んだ彼に関する日記は、シンプルだけどぐっとくるね。  
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